• Nov 11 2017

    喫茶去

    大好きな雑誌「和楽」は昨年よりS様から頂きます。

    それも とっても綺麗な状態で。

    ほぼ 発売された時期くらいに。

    「もう見ちゃったから」という理由で。

    なんという有難いことでしょう・・

    その他に「プレシャス」というファッション雑誌も頂きます。

    30年ほどのお付き合いの上に

    こんなにご親切にして頂き 足を向けては寝られない

    いつも S様がご来店下さる度に そう思います。

     

    さて その和楽の12,1月号の特集に「喫茶去」が

    20pにわたり掲載されていました。

    勿論 その中には「茶箱」も。

    やはり ブームなんですね。

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    禅語の「喫茶去」は掛け軸でお茶室に飾られます。

    「お茶を召し上がれ」という簡素な言葉が

    利休さまの茶の湯に通じるからなのだと思います。

     

    今年 20周年記念でオリジナル茶籠を販売致しました。

    器屋でもない 道具屋でもない ないない尽くしの

    洋服屋の私が 20年という節目に

    何故 茶籠だったのか・・・不思議に思われた方も

    きっと多くいらっしゃったに違いありません。

    子供の頃から大好きだったお茶の世界だから・・なんていう

    そんなちっぽけな理由が無かった訳ではありませんが

    根底にあったのは「喫茶去」という禅語でした。

     

    もともと禅語では 叱咤するときに使われた言葉とか。

    「喫茶し去れ」お茶を飲んでから出直してこい・・

    そのような意味があるそうですが

    「まぁ 一杯お茶でも召し上がれ」という意味が

    一般化したようです。

    それには 中国唐代の老禅匠 趙州従しん禅師の

    日常茶飯の言葉を用いて禅をわかり易く説いてくれた事が

    あるようです。

    どんな時でも どんな人間にでも 決して差別する事無く

    「まずは お茶を召し上がれ」と差し出された一碗のお茶は

    頂く者の心にしみじみと感じわたることでしょう。

    そして その言葉には

    お茶を出す者としての心構えも含まれているように

    私には感じています。

     

    茶籠には私からのメッセージも込めました。

    言葉にはしていませんけれど・・

    嬉しいとき 悲しいとき 辛い時

    私を支え 私を育て 私を叱咤してくださったお客様に

    この茶籠と共にお茶を召し上がるときは

    お傍に私もお供させて頂いている・・という想いです。

    嬉しいときは共に喜び 悲しいときは寄り添い

    まずは お茶でも召し上がって一呼吸致しましょう。

    一人ではない・・という安心感をお渡し致しました。

    ・・致した つもりでございます。

     

    茶籠 残り1籠となりました。

    まだご覧ではない方は 是非ご覧くださいませ。

    そして 「喫茶去」。