• Feb 25 2016

    「いとおしい食卓」の感想

    21日のアーツ前橋での講演会、

    明治大学理工学部の准教授鞍田崇先生の

    「いとおしい食卓」は色々と考えさせられる

    興味深いものでした。

    鎚器銅器職人の大橋さんとご一緒させて頂き

    職人の立場で感じることなども聞く事ができ、

    とても有意義な時間となりました。

    元々は環境学を学ばれている先生ですので、

    環境などのお話しから、民藝へと繋がっていく

    流れのなかで、「いとおしい」という言葉の持つ

    とてもグローバルな視点にちょっと驚き、

    でも驚きはしたものの、

    とても腑におちる感じで心から納得するという

    面白い感情がテンションをグッとあげました。

    「いとおしい」という言葉は皆様もご承知のとおり、

    愛おしい・・という、愛情溢れる意味です。

    でも実は「労」という文字も当てはまる意味で、

    労働する行為をいとおしいという表現だったとか。

    だったとか・・というより、

    私のなかでは、「やっぱり・・」という気持ちでした。

    20世紀は人間らしさを失った時代でした。

    日本の生活を失った時代でもあったように思います。

    環境を壊し、動植物を壊し、

    そうすることで、人間の身体をも壊しましたね。

    柳宗悦の民藝運動は、

    民藝を提唱しながら、日本人の生活を慈しむように

    諭していったのではないだろうか・・・

    私はずっとそう思ってきましたので、

    「いとおしい」という言葉には愛憎も苦楽も全て、

    含まれている言葉だと思っていたのです。

    生活するということは、すなわち労働である・・と、

    そのようなことを鞍田先生も仰っていたように

    記憶しています。

    生きていく過程におけるいとおしさを慈しめたら、

    生きることを支えている「食卓」には当然、

    農業をする方々、動物を飼育する方々、流通、

    そして、料理する私たち、器を作る方々、などなど、

    丁寧に生きている人を選びます。

    労働するということをいとおしく思っている人々。

    そういう方々の手から生まれた食べ物って、

    美味しくて、とっても身体に良さそうですよね。

    高度成長期は見た目の生活は向上したものの

    精神面で言えば最低になってしまったように

    私には思えます。

    日本の文化までも否定してしまっように・・

    そういう風に感じているのです。

    丁寧に生活するということは、

    つまりは、大切な人の心を慮れる人間として

    成長させてくれる大切な学びでもある。

    「いとおしさ」に含まれている日本人の精神論。

    私は今一度、生きることのスタイルを、

    改めて、しっかり見つめ直そうと思いました。

    何故日本人には古来から、お供えするという

    行為があったんだろう・・。

    食を神様へお供えしてから頂くことを何故、

    直会(なおらい)と言うのだろう。

    そんなことを考えたら、生活全般を決して

    疎かににはできませんね。

    もう人生長くはありませんが(笑)、

    残された命の時間を丁寧に、いとおしく

    慈しんでいこうと思います。

    皆様はどう思われますか?

    それでは、また。